自分に向いている仕事って、結局ナニ?③
2016年5月9日
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2016年5月9日
航空会社に入社することを、小さな頃から夢見て育ち、夢を叶える。しかし、体の不具合、人間関係、などで悩みながら、仕事を続ける、または辞めるひとが今多い。この連載は、これこそ自分がやりたい仕事だ、これが私に向いている、そう思って就職をしたある人の話です。自分に向いている仕事って、結局なんなのか?どうしておけばよかったのか?これからを生きる人に読んでいただきたい、元GS/CAの失敗談。今日は、その3でございます。(^O^)
空港の地上職を楽し過ぎるくらい楽しんでいた私、お客様からお礼のお手紙を頂いたりするようになり、もう本当に毎日イキイキしていました。
でも、気がつけばなんだかいつも頭が痛いんです。
面白いもので、仕事をしている間は、痛みを忘れてしまうんです。緊張しているときは痛まないんですよ。痛みに襲われるのはフーッとリラックスする時なんです。休憩時間を過ごす時、お客様の列が途切れる時、家で落ち着く時となると、途端に痛みが襲ってくるのでした。
「あぁ、こりゃ、怠け病だな、働いていれば痛くないんだから。」
仕事に燃えていて、病院なんか行く気にもならなかったんです。
単なる頭痛で病院いかないですよ、ふつう。
そうして、いつの頃からでしょうか。
私の制服のポケットに頭痛の鎮痛剤がいつも一枚、入るようになりました。
最初は二錠とかの一回分だけを、ポッケに入れていたんです。でも、勤務時間が長かったり、同期の友達にも頭痛持ちがいて、その子に分けたりすることもあって、ちょっと多めに持つようになったんです。
ある日、母が、「これイイわよ」と言って、北海道北見名産の天然ハッカの成分で出来たハーブスプレーをくれました。鎮痛剤なんて身体に悪いから、と考えてくれたんですね。
これがまた効いてね〜(笑)薬を飲むのを忘れる日もあるくらい効くってんで、これまた同期に分けたりしました。
キャビンアテンダントになってからも、このハッカオイルは持っていました(笑)。
そう、頭痛はずっと続いたんです。
すっごいイイ香りなんですよ、私は香水とか余りつけないもので、あのミントの清涼感のあるキリッとした香りはとても重宝してました。北海道の地場産品、仙台生まれの私には北の土地のものがあっていたのかもしれません。逆に楽しんでいましたかね。
アメリカの航空会社の空港地上職員を辞めて、客室乗務員、その後、また空港地上職へと、12年程航空業務に就いていたんですが、いま考えてみると、頭痛がない日がなかったのです。
夢中で仕事をしていれば、痛みは感じないのですから、真面目さに拍車がかかりました、ただただ日々に業務に打ち込んでいました。
痛みはだんだん進化して、30台を迎えるころから、私の頭痛は顔半分ずつ痛くなるようになりました。今日は右、今日は左とね。
確か、昔のアニメ『マジンガーZ』の悪玉リーダー・アシュラ男爵は顔半分ずつ色が違ってたっけ、赤と青だったか…あれだわ…と心の中で笑いに変えてやってたんです。
もう痛みに鈍感にもなっていきました。
でも、他にも頭痛持ちのクルーも多く、私だけじゃありませんでした。だから、やり過ごしていました。クルーには腰痛の人も本当に多かった。肩凝りなんてあって当たり前。人間関係で悩んでいたり、ある同期はいつも他のクルーから辛くあたられると悩んでもいました。みんなでいる間は痛みなどおくびにも出さないけど、クルーホテルの部屋に入った途端、制服のままベッドに転げるように寝込む人もいました。
みんな大変そうです。
職業病だから仕方ないよね、と言う人が多かったなぁ。私は頭痛だけでしたが、「CAだから、不規則な勤務だから仕方ない。」とう思っていました。
ちょっと話は飛びますが。私は、ちょっとマッサージもうまいんですよ。フライトしていると、ギャレーに外国人クルーがマッサージ受けにやってくるなんてのは、普通でした。「効くぅ…」ってね。みんな、何かを我慢してフライトしてるんだなんて実感していました(笑)
お客様からのサンキューレター。
手を取って、涙を流してお礼を言って下さるお客様も覚えております。
そして、同僚や上司からのお褒めの言葉。
本当に楽しかった仕事。
外部へ出ても、航空会社というのは体裁がいいものです。周囲の人にも羨ましがられました。私は、仕事に文句をいうようになってきていました。文句はあるけど、体裁は守りたいっていうとても格好悪いサラリーマンCAでしたね。
「本堂さん、航空会社なんてイイところにいるねぇ」って言われれば、やっぱり、航空会社って良いんだな、良かったぁ…と思った。
「○○航空会社の」わたし。
「グランドスタッフの」わたし。
「キャビンアテンダントの」わたし。
その奥にある自分の状態には気付けていなかったな…。
友達も多かった、海外でもどこでもいけるステイタス感も大アリ。格好良い。やり甲斐もある。他にもいろいろ業界はあるんだろうが、きっとこれが一番良かった、という思い。
CAから、また地上へ戻り、故郷の空港職へ就いてもその思いは変わりませんでした。「航空会社で良かった」そう確信すればするほど、痛みもどんどん酷くなっていったように思います。
ある晩、故郷の国際空港で仕事を終えた日。
空港から全出発便が出て、明かりも暗くなった夕刻の空港ロビー。オフィスに戻ろうと歩いていた私はあまりの頭痛に歩けなくなってしまいました。ただ目をつむって、壁にもたれるしかありませんでした。
「あれ、本堂さん?どうしたの?」
他社の偉い方が声をかけてきてくれます。このお方にも本当によくしていただいていました。
「あ…はい…。」そのお声に笑顔で話をと思うも、もう目を開けることさえ、出来なくなっていました。
〜 ③へ、続く 〜